DAKAR RALLY  世界一過酷なラリー「パリダカ」に24年連続出場中

HINO RANGER日野レンジャー(1992年〜2006年)
92年に日野ワークスチームのドライバーとしてカミオン部門初参戦。翌年からは「チーム子連れ狼HINO」としてプライベート参戦を続け、94年には国産車として初めてカミオン部門準優勝を獲得。翌95年も連続準優勝を遂げ、「パリダカに日野ありき」の存在に。そして96年からは総合優勝を目標に掲げ体制を強化し、97年、カミオン部門では史上初となる1位2位3位独占という快挙を成し遂げた。
98年からは「チームスガワラ」として再びプライベート体制となるが、その後も総合2位を3回獲得するなど、カミオン部門のトップチームとして活躍を続けている。
24年連続出場、18年連続完走、5年連続カミオン部門クラス1優勝という数々の記録はいずれも前人未踏の世界記録である。06年大会からは「HINO TEAM SUGAWARA」として新たな歴史が始まっています。
三菱パジェロ(1985年〜1991年)
85年、俳優の夏木陽介氏とのコンビで四輪へ転向するも、ダカールの900km手前で無念のリタイヤ。しかし、翌86年には念願のパリダカ初完走を果たすと共に、日本人過去最高位の総合33位を獲得。そして、カミオン転向前の91年にはプライベーターながら総合23位という好成績を残す。
MITSUBISHI PAJERO
HONDA XL400ホンダ XL400(1983年〜1984年)
パリダカの情報すらなかった83年、「チーム子連れ狼」として3台体制で初出場を果たすも、二度の骨折に見舞われリタイア。翌年も挑戦を続けるも、バイクでダカールへ辿り着くことはできなかった。


PHARAONS RALLYE  パリダカに次ぐ20年の歴史を誇る国際ラリーレイド

日野レンジャー(2003年〜2004年)/三菱パジェロ(1985年〜1990年)
ホンダ アクティ(1984年)

パリダカの前哨戦として20年の歴史を誇るファラオラリーには、84年の出場をきっかけに同ラリーの日本窓口も兼任し、多いときには50名ちかくの日本人をサポートしてきました。チームとしては84年から90年にかけて6年間にわたり四輪で出場し、常に好成績を獲得。その後しばらく出場の機会がなかったが、数年ぶりにファラオラリーのネーミングが復活した03年大会に日野レンジャーで参戦し、カミオン部門優勝を果たした。
PHARAONS RALLYE

PARIS-MOSCOW-BEIJING RALLY  ユーラシア大陸を横断する世界最長のラリーレイド

PARIS-BEILING日野レンジャー(1992年)
ユーラシア大陸横断16,000kmのルートを27日間で駆け抜けるパリ・モスクワ・北京ラリー。1907年にわずか5台の車で行われたパリ〜北京間走破競技の現代リメイク版である。85年ぶりに復活したこの記念すべき大会に「チーム子連れ狼HINO」として日野レンジャーで出場。ドライバーとナビゲーター2名だけの挑戦ながら、カミオン部門6位完走を果たした。

BEIJING ULANBAATAR & RALLY RAID MONGOL  日本人が手がけるラリーレイド

いすゞ ビックホーン(2000年〜2003年)/ホンダバギー(2002年〜2003年)
ホンダ パイロット(2003年)/スズキ ジムニー(1999年)
ヤマハ ライノ(2005年〜2006年)/オリジナルバギー(2005年〜2006年)

95年に日本人が主催する初めての国際格式ラリーレイドとして始まったラリーレイド・モンゴル。現在は北京・ウランバートルとして開催されている。同ラリーには運営側スタッフとして同行すると共に、選手としても様々な車種で挑戦を続けている。
RALLY RAID MONGOL
HINO PROFIA FU日野プロフィア(1999年〜2002年)
ラリーの最後尾を走り選手の安全を確保するカミオンバレー(スイパートラック)として、日野プロフィアが活躍。4年間にわたりノートラブルで大会を陰から支えました。
 

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