TOTAL PARIS-DAKAR-CAIRO 2000/気持ちだけ!? 日刊
1999/12/26
選手記念撮影
皆さん、異常気象というのは全世界的な問題なんですよ。アフリカで大雨が降り、現在ここフランスは50年ぶりの嵐に見舞われております。さて、我々のいるテロッシェ村がそんな記録的な嵐に堪えられるのでしょうか?もちろんムリです。朝から電気はストップし、すでにアフリカモード。発電機のうなる音が、日曜日の静かな村に響きわたっております。で、今日は「ダケニチ」ファイナル。最後の最後にこの男の手記でいいんでしょうかねぇ。ということで、お待たせしました嵐を呼ぶ男(?)櫻井亜仁の登場だ!それでは皆さん、徹夜で書き上げた超大作をごゆるりとお楽しみ下さい。
櫻井 亜仁編
どうも皆様おはようございます。私、櫻井亜仁はこの会社にアルバイトとして入ってまだ2ヶ月目の感動と驚きだらけの日々を送っている幸せ者です。なぜそのような者がいきなり異国の地フランスに行ってしまっているのか?皆さん疑問にお思いでしょうが、一番疑問・・・(失礼)、ビックリしているのは実は私自身でありまして、レンジャーをワックスがけしている自分がいることに一番ビックリしております。2ヵ月程前までは想像もしていなかったパリダカの世界。ただ、いつか出てみたいレース、いつか逢ってみたい人が、たった一冊の本、たった一通のメールでググーンと近づいてきたのですから、ビックリしないのが不思議なくらいです。さて、そんな毎日感動しっぱなしの日々を送っている幸せ者が初めて飛行機に乗り、初めて海外にいった話にしばしお付き合い下さい。
JRMのガレージがあるテロッシェという小さな村は、まるで「ピーターラビット」か「魔女の宅急便」を思わせるようなとてもきれいな世界です。ただ見ている分には・・・。しかぁし私はそんな世界に、見ているだけでなく飛び込んでいかなければなりません。そう、一つは朝のパンのため、一つは掃除機のエアクリーナーのため、あとは色々と・・・。この世界に飛び込むという事はとてもデンジャラスでサバイバルで、自分の知識と経験と少々の画力(買い物の時に絵を画いて説明するそうです)をフルに使わなくてはなりません。なんせ言葉が通じないのですから大変です。しかしそんな冒険をするたびに周りの人には笑い(?)を、私には少しの自信と経験を与えてくれるので「さっきより前進したかな?」と思い楽しんでおります。何事もプラス思考に考えなければいけませんからね。そういえば食に関しても冒険でした。フランスに行ったら何が食べれるのだろうか?と、楽しみにしていたのですが、出てきたものを食べてビックリ!ナンジャコレ?の連発。なんでフランス人はこんなものが食べれるのか?と、何回思ったことでしょう。その5本指に入る中にフォアグラのパテがあります。なにもワザワザ、フォアグラをパテにしなくても・・・と思うのですが、食べてみると甘いようなしょっぱいようなモソッとして歯ごたえがなく「ウーン」と、考えさせられるような味。これは帰るころには何kg減ってるかな?いや、もしかしたら餓死してしまうかなと、着いた頃思っていましたが、そこは社長夫人のウデ(フランスで飲む味噌汁は最美味)と一日約4食の食生活で逆に4kg程太ってしまい、日本に帰ってどうやってもとに戻そうかと思っております。
フランスに来てからもう2週間がすぎ、もうすぐパリダカの車検が始まり、私たち見習い組も帰国する日が近づいてきましたが、この2週間、日本では絶対に見ることの出来ない景色を見たり、絶対に出来ない右側通行を体感したり、ルマンでベンツが宙に舞った直線をハイラックスで疾走したりと、書き上げたらキリのない感動、驚き、発見が出来たことを心から幸せに思っております。4x4マガジンの編集部の方、2ヵ月程前に電話で「モンゴルの記事を読みました。是非JRMの連絡先を教えて下さい。」と言ったのは私です。あなたの親切な応対がなかったら私はここにはいないでしょう。そして、中間テスト間際の大切な時期に夜の11時までメールについて教えてくれたゲン兄、あなたのおかげでメールが届きました。帰りにお土産買って帰ります。あっ、パリダカファンの皆さん、私が皆さんの代わりに出走車両見てきます。それでは。

1999/12/25
レンジャー始動! 台風一過とは言わないんでしょうかねぇ、今日はウソみたいな快晴に恵まれ雲一つない青空が広がりました。そんな青空のもと、ユノディエールの直線を駆け抜けるスペースレンジャー。いいですねぇ。えっ、ルマン出場?夢があっていいですねぇ。そう言えばウチにも夢見る若者達がいましたねぇ。で、今日と明日はフランスでがんばってくれた夢見る若者達の感想文?をお送りします。第一弾は小石沢彰選手。じゃぁ、いってみよう!
小石沢 彰編
「プロのナビゲーターになりたい!」の一言で始まった今回の渡仏。「ナビゲーターになるにしても、ドライバーになるにしても、まずはメカニカルな部分を知らなければならない」という現在のボスのアドバイスのもと、今回こうして自分の憧れであるパリダカのスタート前の準備に、見習いメカニックとして参加することになりました。メカニックの部分については自分ひとりに任されることはないのですが、作業中に見たり聞いたりする中で、例えば総重量8トンもある車両に使うワッシャーの重さ1つにさえも神経をつかう細かさなど、言われてみればそうだと気付くことがたくさんあり、どうしてそのようにするのかという事を考えながら行動しなければならないと、改めて知ることができました。また、自分でも気を付けようとしたテーマがあります。それは「行動の最適化」です。今までは作業をするにしても行動にムラがあったのですが、小学校の体育館ほどの大きさがあるここテロッシェのガレージで作業をし、改めてその重要性を体感しました。その結果はというと、まだムラがあると反省してしまいますが、そうしようと常に考えることが出来るようになりました。今後はそれを行動に移していこうと思います。今までパリダカをはじめ海外ラリーを見に行った事はありますが、見に行っただけでは知ることの出来ないラリーに参加するという本当の姿を、約2週間という短い間に、ほんの一部かもしれませんが知ることが出来たことが今回の一番の成果です。最後に、ボルトの絞め方さえもままならない状態の人間を温かく、時には厳しく指導していただいたチームスガワラの皆さんに感謝を致します。

1999/12/24
本場のミサはこんな感じ 嵐です。ものすごい風、そして横なぐりの雨。イヴの夜とあって、慌ただしく家路を急ぐ車が事務所の前を駆け抜けて行くのですが、くれぐれも事故だけはしないように気を付けてもらいたいですね。せっかくのイヴの夜ですから。日本のイヴはどうでしたか?1900年代最後のイヴということで、どこもかしこも盛り上がっていることでしょう。フランスはいつもと同じように静かにイエス・キリストの誕生を祝っております。教会ではミサが行われ、各々の家がイルミネーションで飾られています。我々が居るような街灯のない田舎町では、暗闇の中にイルミネーションがキラキラと輝き、まるでおとぎの国に迷い込んでしまったような感じがします。静かに迎えるノエルもなかなかイイものですよ。
で、今日はパリダカ情報・フランス編。前にもお伝えしたように、車両検査は12月27日、28日の2日間パリのバンセーヌ城ウラで行なわれます。我々の車検は27日AM8:30、日本人のバイクエントラントは全員28日で、車検が終わった車両はエッフェル塔の下に展示されます。そして、28日17:00からエッフェル塔下のポディウムで紹介された選手達が続々とルアーブル港へ向けて出発していきます。ルアーブルまで車両を運んでしまえば、1月3日4日の書類審査まで自由行動。我々は2日にダカールへ出発するまで、テロッシェ村でゆっくりと年末年始を過ごす予定でおります。年賀状は届くかなぁ。

1999/12/23
レンジャーはこんな感じ 「ダケニチ」を見て「デキニチ」を見る。(順番はどっちでも良い)それで一日が始まり、やがて2000年を迎える。これが正しい年の瀬の過ごし方。では、「ダケニチ」が終わってしまったらどうすればいいのか?「サトコの・・・」は、せっかくネーミング・ヤマダ大先生が名前まで考えてくれたのですが、当の本人がご立腹のため企画ダオレ。でもすぐにパリダカ・レポートが始まるので、引き続きゴヒイキに。それまで待てん!というヒトは99グラナダ・ダカールレポートで気分を盛り上げるのもよし、カミオンワールドで予習するのもよし。そんなことをしている間に自分もやってみたくなったら、是非モンゴルに行ってみましょう。いいところですよ!第1次の締め切りは12月24日。あっ、今日でした。でも、まだまだ間に合いますよ。子細は「デキニチ」で。そんでもって、21世紀の幕開けにブリタニ・モトで、いざパリダカへ。これが正しい新世紀の迎え方。これじゃあ、お金が続かないか・・・
で、今日は実際に出ちゃったヒトのお話。我々が日本でマネージメントをしているブリタニ・モトからは、昨年の博っちゃん打田さんに続いて、今年は3人が出場。ちょくちょく出ているレイコさんは置いといて、谷口さんと斎藤さんは初めての参加。でも二人とも、ディナンの町で買い物をしたり散歩をしたりで、とってもリラックスしているそうです。こだわりの改造をほどこしたマシンの方も気に入ってもらい、こっちも一安心。今ごろはマシンも出来上がり、最終調整に入っていることでしょう。是非是非がんばってもらいたいですね。この3人のコメントも、うちのレースリポートでお伝えしますので、こちらの方もお楽しみに。では皆さん、よいクリスマス・イブをお過ごし下さい。

1999/12/22
フヌイユ氏と夕食会 この度、日野自動車株式会社様のご配慮により矢口義光エアメカニックの出場が決定し、昨晩、矢口氏がフランスに到着致しました。矢口氏は日野自動車のエアメカニックとして、過去何度もパリダカに参加しており、チーム員との信頼関係もバッチリ。今年はエアメカニックなしのチーム体制で挑む予定であった我々にとって、心強い味方の登場で、まさに鬼に金棒。チームの士気はグンと盛り上がっております。
盛り上がってきたところで、今日はロシアのワークスカミオンチームのお話。ロシアのカマズといえば、言わずと知れたカミオンクラスの暴れん坊。1000馬力ちかくを発揮する26リッターV8ツインターボをミッドシップに搭載した車両で常に全開走行。その走りは他の追従を許さないが、すぐ壊れる。あまりの速さに、前回、森の中の一本道で追突事故を起こしてしまいました。全車の埃で前が見えなくても全開で飛ばす(だからぶつかる)これがカマズ流。このチーム、ロシアでもずうっと日本に近い所に本拠地があり、5000km以上の距離を自走でフランス入りするそうなんです。もちろん、厳寒のロシアは雪と氷の世界。砂漠用のタイヤでツルツル滑りながらやって来るんですって。でも、まだガレージで整備中だそうです。車検まで1週間きってますけど、間に合うんでしょうかね。間に合うんでしょうね。きっと。

1999/12/21
実戦を想定したタイヤ交換昨日、ミトンさん宅のウラにある小屋が崩れ落ちたそうです。なのでミトンさん、今日はお休みです。というより大仕事中です。そして、ありがたいことにこの「ダケニチ」がSSERの本家「デキニチ」で紹介されました。ついでに、小生の紹介までしてもらいました。RRM(ラリーライドモンゴル)バギーで出たいですね。また、その中でネーミングのことについて山田大先生のご見解がのっておりましたが、「ネガティブな状況からポジティブな行動をおこす」ってのもイイじゃないですか。ってなコトで、「ダケニチ」のまま続行します。まあ、「ダケニチ」もあと1週間の命ですし・・・。その後は「サトコのちょっと失礼」なんてのをやってもらいましょうかね。どうですコンドウさん?
で、今日は次回のRRMに出場予定の超大物がガレージに遊びに来ます。予定ではガストンおじさんも一緒に来るはずだったんですが、彼はマドモアゼルのおしりを追っかけて、どっかに行ってしまいました。(本当はどこかのレースに出場中)その超大物さんとは、あのフヌイユ氏。彼はパリダカがはじまる前にアビジャン−ニースを開催したラリーレイドのパイオニア。ファラオラリーの創始者で、パリダカの主催もし、21世紀にはニューヨーク−パリなどというレースも計画中である。そんな彼がRRMに来て、何を感じるのか?彼が来ることによって、RRMはさらに大きな一歩を踏み出すことでしょう。ガンバレ!SSER!ガンバレ!日本のラリーレイド!ガンバレ!チームスガワラ!ということで、今日の1枚は実戦を想定したタイヤ交換のひとコマであります。いろんな状況を考えて、リム付きのタイヤを交換することになりました。で、今日の成果は13分。去年はこれで失敗しましたが、今年は万全です。まあ、パンクしないと思いますけどね。

1999/12/20
快晴。なんと響きの良い言葉でしょう。今日のフランスは文字通り雲一つない快晴で、すばらしい青空が広がりました。でもそんな日は、やっぱり寒いのです。で、今日は二人の若者のお話。
小石沢 彰櫻井 亜仁
ひとりは小石沢彰君28歳(写真左)、そして櫻井亜仁君18歳(写真右)。この二人、なんと自費でフランスまでお手伝いに来てくれている変わり者。あっ失礼、強力な助っ人。でも、とっても助かっています。ホントに。まじめな小石沢君はプロのナビゲーター志望。でも、 プロのナビゲーター?って職業聞いたことありませんね。それだけで食べてるヒト、これ読んでたらメール下さいね。まあ、4,5カ国語がしゃべれて、メカができて、相手の気持ちが理解でき誰からも好かれる人柄で、精神的に強くて、もちろんナビが完璧で・・・プロのナビゲーターっていったら、そんなヒトでしょうね。きっと。で、彼はただいまそれを目指し、修業中というところです。そんな彼、4速からのシフトアップでバックギアに一所懸命いれようとするんですね。なんせ、修業中ですからね。
一方、がんばり屋さんの櫻井君は四駆が大好き。彼もまた修業中の身ですが、車に乗ると寝てしまうんですね。18歳の若者といえば、授業中よく寝てますもんね。若いから仕方がないんでしょうね。ここのガレージの大家さんがガソリンスタンドをやってて、そこにひとりで廃油を捨てに行った彼は「セパボン!セパボン!」と、ひとり叫んでいたんですね。大家さんのお店の前で「ダメだコリャ!ダメだコリャ!」って、叫んでちゃいけませんよね。大家さんが心の広いヒトで良かったですね。なんせ、修業中ですからね。彼も。

1999/12/19
まずは重大なお知らせがあります。車検が12月27日AM8:30に変更になりました。場所はパリのバンセーヌの森です。
ブリタニ・モト発表会今日はディナンの町でブリタニ・モトの発表会。昼からのパーティーということで、まだ暗いうちの8時にガレージを出発し、約250km離れたディナンの町へ向かいました。今日はとても寒いです。
ブリタニ・モトのあるディナンについては、前にもちょっとふれましたが、本当にすばらしい町です。切り立ったガケの上にある城下町で、ガケの下には運河が流れ、運河にかかる石橋は100mちかい高さがあるのではないでしょうか。皆さんもチャンスがあったら行ってみるとよいですよ。絶対オススメです。今回のブリタニ・モトの体制はバイク9台、クイックアシスタンスの日産テラノ、アシスタンスカミオンのタトラ(T5)、ヨーロッパでのトランスポーター(巨大トレーラー)という、プライベートチームとしては最大級のもの。お店の前はテレビの撮影隊、発表会の出席者、ヤジウマなどで大賑わい。日本とはパリダカへの関心度がやっぱり違います。そして、ロバの荷車にレーシングシートを取り付けた1号車?を先頭に会場まで1km程のパレード。ロバの1号車は、あまりの足の遅さに会場に着いたのは1番最後でしたが・・・。
真紅のマシンと一緒に
そして発表会は地元の体育館で、なんと350人もの人が集まり、盛大に行なわれました。もちろん、選手はひとりひとり紹介され、レイコさんはフランス語でスピーチを、谷口さん斎藤さんもパリダカへの意気込みを語り、大きな拍手をあびておりました。最後に我々もちゃっかり紹介されてしまいました。昼食はクスクス(アフリカ料理)でもてなされ、陽気なお兄ちゃんとかわい子ちゃん(死語もフランスの子だとしっくりきます)による歌で、延々と会場は楽しい雰囲気につつまれました。が、さすがに我々は5時間も続く発表会にぐったりで、5時すぎにディナンをあとにしました。残ったミトンさんと尚子さんが家に帰ったには、夜中の2時すぎだったそうな・・・。

1999/12/18
知る人ぞ知るルマンの名所いつもこの時期は完全防備でも寒いくらいなのですが、今年はやっぱり暖かい。今日はトレーナーで外に出ても大丈夫、だけどお空は相変わらずの雨模様。
で、今日はルマンの知る人ぞ知る隠れ名所のお話。皆さん、ルマンの場所は?と聞かれても、いまいちピンとこないかもしれませんが、ルマン24時間レースはご存知でしょう。そのレースでの見所といえば、何といっても4kmも続く直線・ユノディエールでしょう。あまりにスピードが出過ぎてしまうため、現在では2ヶ所のシケインが作られていますが、それでも400kmちかいスピードで駆け抜けるマシンは圧巻です。そのユノディエールの直線の内側に、その名所はあります。今日の写真はレイコさんと昨日ハシゴから落ちたオジさんが、その名所に訪れた時に撮った一枚です。なんだこりゃ!?って感じですが、ヨーロッパで初めて飛行機が飛んだ場所が、ここユノディエール競馬場です。フラっと訪れたら、ただの石碑と石コロが置いてあるだけですが、この石碑には1908年8月8日PM6:25、かの有名なライト兄弟のひとり・ウエイバー・ライト君が、この競馬場においてヨーロッパで初めて飛行機で大空に舞い上がりました。云々と書かれています。飛び上がる力を補うために、滑車を利用して石コロを高い所から落とし、その力を利用して飛びたったそうです。その様子が石碑に赤いインクで描かれており、その時使われた石コロが石碑の右側に転がっています。ルマンの町の中心にも立派な石碑が立っており、そこでもこの栄誉を称えております。ルマンを訪れた時はチェックしてみて下さい。でも、興味ない人にとってはただの石コロですよ。
それにしても、飛行機が飛び立ってからまだ100年弱。ウエイバー君は、まさか100年後に5万円ちょっとで日本とフランスを往復できてしまうとは、夢にも思わなかったことでしょう。ちょうど100年後の2008年には「ちょっと月まで」なんて会話が現実になっているかもしれませんネ。あっ、ちゃんとレンジャーの整備もやってますよ。ご心配なく。

1999/12/17
ガレ−ジの前で朝方はかなり冷え込みましたが、昼前からポツポツと雨が降り出し、冷え込みも少し和らいできました。夜には、我々が日本で参加者の募集をしているブリタニ・モトからパリダカに参加する山村礼子さんがガレ−ジにやって来ますので、賑やかなディナーになりそうです。そう言えば、こないだブリタニ・モトの工場に行ってきましたが、礼子さんのマシン(XR400)は真紅のカウルにゴールドのシート!といういでたちで、かなり目立ってます。注目です。
で、今日はフランスのモノ事情についてのお話。それにしてもフランスのモノはよく壊れます。ガレ−ジを年に1,2回しか、使っていないということもありますが、あれも壊れたこれも壊れたで、1日が終わってしまいます。今日もガレ−ジの電気がつかなかったり、トイレの水が流れなかったり、洗面所の配管が詰まったり(これは人災)トラブル続き。あれ、いま帰っていった人は洗濯機の修理屋さんだって!? そんな中でも、トラブルの王様・キングオブトラブルはなんといっても「お湯」君です。今まではガス式だったために、シャワーのお湯が突然、ま水になったりしてブルブル震えながら頭を洗ったものでしたが、今年から電気式に変えてもらい一安心・・・?この前の夜、温かいお湯で頭を洗い終え目を開けてみて、さあ大変!!パッチリと目を開けているのに、周りは漆黒の真っ暗闇。なんで?どうやら頭を洗っているうちにブレーカーが落ちてしまったらしい。誰かが起きていればなんでもないことですが、家の中はシーンと寝静まっているし、月のない夜は本当に真っ暗闇なのである。ハダカでブレーカーを戻しに行った私は、今年もブルブル震えたとさ・・・。
まあ、フランスの生活はこんな感じ。でも、いろんなモノがデリケートであるからか、フランス人はモノと心が通じ合っているかのようにモノの心を理解し、大切に扱う。優秀なモノを作り上げ、使い捨てのように扱うどこかの国の人と、どっちが人間らしいんでしょうかね?

1999/12/16
どっかのパクリだと言われようとも始まってしまいました「気持ちだけ!?日刊/フランス便り」。もちろんレース中は必ずレース情報を更新しますが、こちらは「気持ちだけ!?日刊」ということで、私、菅原照仁の気分次第!?まあ、車検まで2週間ないことですし、なんとかなると思っておりますのでお楽しみに。
ということで今回はこちらの作業状況についてのご報告。昨日レンジャーも到着し、フランスガレ−ジは活気をおびてまいりました。本日最初の作業はタイヤ交換。レース用にすべて新品に履き替え、気分一新。レース中のパンク時を想定して、実戦さながらの交換作業を行うはずでしたが、寒さのためタイヤが硬化しているのか、なかなかエアが入らず悪戦苦闘。なんとか事無きを得たが、この問題はレースまでには完璧にしておかないといけません。
もう気付いた方もいると思いますが、2000年モデルのレンジャーの側面から見た写真は本邦初公開です。これはスポンサーのロゴが全部揃っていなかった為で、やっと皆さんに見て頂くことになりました。この写真はJRMフランス事務所前でのショットです。画質が悪くスミマセン。

選手は12月11日夜半、ルマン市郊外にあるTEAM SUGAWARAのガレ−ジに到着。本日15日、ルアーブルでレンジャーの通関手続きを済ませ、無事ガレ−ジ入りし最終調整に入りました。
フランスは例年に比べ暖かく(それでも寒いのですが)比較的過ごしやすい陽気が続いており、選手は全員、体調万全。レンジャーの機関も良好で、まずは2週間をきった車両検査に向けて準備に余念はありません。