パリダカとカミオン

 
TATRA
豪快なジャンプを見せるタトラ(チェコ)。総軸エアサスのレーシングカミオンだ
「走るものならなんでもいい。一緒にダカールまで競争しよう」パリダカの創始者ティエリー・サビーヌのこの言葉から始まったパリ・ダカールは、今も昔も「乗りもの」の宝庫である。ラリー開催当初は、二輪駆動の乗用車やサイドカー、ロールスロイスにスクーターまで、様々な「乗りもの」でのチャレンジが行われていた。しかしイベントのメジャー化とともにワークスチームの参戦が相次ぎ、ラリーは冒険からスピードの時代へと移行し、それら異色の「乗りもの」は徐々に姿を消していった。
一方、一般のレースでは異色の存在であるカミオンも、当初からエントリーは少なくなかったが、ワークスチームの台頭によりサポートとしての重要性が高まり、その圧倒的存在感からいつしかパリダカの象徴的存在となっていく。そのような中、トラックが活躍する世界で最もメジャーなモータースポーツとして「レーシングカミオン」に目を向けるトラックメーカーが数を増し、88年にはオランダのダフが、アルミフレームに1200馬力のツインエンジンをのせたモンスターカミオンで四輪部門総合優勝を狙うに至る。その後、ペルリーニ(イタリア)、カマズ(ロシア)、タトラ(チェコ)といったモンスターカミオンの常連組が活躍を続け、その群雄割拠の時代に割ってはいるような形で、91年、日野レンジャーのパリダカ挑戦が始まった。
90年代後半から21世紀初頭にかけては日野、タトラ、カマズの三強時代が続き、毎年、熾烈な優勝争いが繰り広げられ、大型のミッドシップカミオンに中型フロントエンジンの日野レンジャーが真っ向勝負を挑む姿は「リトルモンスター」と恐れられた。そして02年、ミッドシップカミオンの出場規制を受け、往年の強豪チームであるダフが復帰を果たす。このダフの参戦により、カミオンは一気に高速化が進み、現在に至っている。


進化し続けるレーシングカミオン

現在のレギュレーションにおいて、カミオン部門はカテゴリー上、グループ3として四輪部門に属するが、リザルトは完全に独立しており、四輪部門の総合順位の対象にはならない。そのため、以前は四輪/カミオン部門の総合リザルトが発表されていたが、今は四輪部門、カミオン部門別に独立したリザルトが発表されている。少しややこしくなったが、04年の四輪とカミオンの総合リザルトを仮に組み合わせると右の表のようになる。
表の記載項目は左側から四輪総合順位、カミオン総合順位、ゼッケン、ドライバー、車種となり、赤い部分がカミオン、青い部分が四輪のワークス車両である。これでわかるように、カミオンの上位車両は四輪のワークスカーには劣るものの、それらに続くセミワークスカーと同等の速さで砂漠を駆け抜けているのだ。04年、最大の難関であったティジカ〜ネマのステージでは、レンジャーがカミオンの7番手でネマのビバークに辿り着いた時、四輪の到着車は15台しかいない程であった。

では、何故レーシングカミオンがここまでの速さを見せるようになったのか?
まず最初に挙げられるのはエンジンのパワーアップと軽量化によるパワーウェイトレシオの向上だろう。カマズ(ロシア)はチタン素材をふんだんに使用し、なんと2トンもの軽量化に成功。830馬力を発生する18リッターのV8ツインターボエンジンが9.5トンの車両を優勝に導いた。ダフ(オランダ)は8.8トンの車両に13リッターターボエンジンの組み合わせで、800馬力&300kgmオーバーのトルクを誇るモンスターマシンだ。
また、道なき道をいくパリダカではサスペンション性能も重要なファクターとなる。ダフはカミオンで初めてバイパス式のショックアブソーバーを装備し、リアのリーフスプリングは一枚板のみの仕様。タトラ(チェコ)は前後軸ともにエアサスペンション構造で、悪路走行では絶対的な速さを見せる。
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