並み居るワークス勢を相手に総合3位、クラス7連覇を達成!  2002年 ARRAS-MADRID-DAKAR

クラス7連覇を達成した日野レンジャー 
エアメカニックが廃止され100台以上のアシスタンスカー&カミオンが参加したため、スタート地点となったフランス北部の町・アラスには総勢425台の車両が集結した。中世を髣髴とさせるアラスの古い街並みにある「英雄広場」に設けられたポディウムには、氷点下近く冷え込んだ外気をものともせず、1万人以上の観客が集まり、会場はお祭りのような熱気に包まれた。プライベート参戦が続く「TEAM SUGAWARA」からは今大会でパリダカ出場20回目となる菅原義正が日野レンジャーを駆り参戦。次男の照仁がアシスタンス部門のドライバーとして日野レンジャーのハンドルを握った。

12月28日、小雨交じりのあいにくの空模様の中、カミオンの先頭をきってスタートしたレンジャーは、4日間の長いヨーロッパステージを無難にこなし、1月1日未明にアフリカ大陸に上陸した。アフリカステージ初日のショートステージで若干のミスコースから総合20位まで順位を落としてしまうが、その後は好タイムを連発し、徐々に上位に浮上。休息日前のロングステージで2番手のタイムを叩き出し、総合4位で前半戦を折り返す。ただ、元日野チームの同僚・ライフが駆るマンも侮れない速さを見せており、僅差の5位でレンジャーに背後に迫る。
モーリタニアの砂丘地帯がメインとなった後半戦に入ると、過酷なロングステージが続き、各チームがトラブルに見舞われて脱落していく。レンジャーも背後に迫るライフとの差をじりじりと広げ、前を行く3台を猛追にかかる。13日目、ラクダ草が300km以上続く我慢のステージで遂に3位に浮上し、ダカールにゴールを果たした。日野レンジャーのクラス7連覇は前人未踏の快挙である。

順位 ゼッケン ドライバー 車種
 1  409 チャギュイン カマズ
 2  408 ロプライス タトラ
 3  400 菅原義正 日野レンジャー
 4  415 ライフ マン
 5  414 ボゾネ メルセデス
 6  410 デロイ ダフ
 7  435 カロフェル マン
 8  403 バリラ ウニモグ
「TEAM SUGAWARA」

1号車 菅原義正/鈴木誠一/松本尚子
アシスタンスカミオン 菅原照仁




1991年 第13回 PARIS-TRIPORI-DAKAR
1992年 第14回 PARIS-SIRTE-LE CAP
1993年 第15回 PARIS-DAKAR
1994年 第16回 PARIS-DAKAR-PARIS
1995年 第17回 GRANADA-DAKAR
1996年 第18回 GRANADA-DAKAR
1997年 第19回 DAKAR-AGADES-DAKAR
1998年 第20回 PARIS-GRANADA-DAKAR
1999年 第21回 GRANADA-DAKAR
2000年 第22回 PARIS-DAKAR-CAIRO
2001年 第23回 PARIS-DAKAR
2002年 第24回 ARRAS-MADRID-DAKAR
2003年 第25回 TELEFONICA DAKAR
2004年 第26回 TELEFONICA DAKAR
2005年 第27回 TELEFONICA DAKAR
2006年 第28回 EUROMILHOES DAKAR
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