世界的な経済後退の影響で参加者数が過去最低の規模となってしまったこの大会。日野自動車も例外ではなく、ワークス体制は休止となり、ラリー活動はプライベートチームへの車両供給という形で継続された。それにともないチーム名も「チーム子連れ狼HINO」と一新。日野クルージングレンジャー1台に日野自動車から派遣された2名のメカニックのみで、8,900kmの長丁場を戦うこととなった。ラリーはパリをスタートし、モロッコに上陸。その後、アルジェリアとモーリタニアの砂漠地帯を巡りダカールを目指すオーソドックスなものだが、全SSを通じて通過する集落がわずか4カ所という厳しい設定だ。
レンジャーは1台だけの参戦ながらプロローグランで2番手につけるなど幸先の良いスタートを見せる。しかし、アフリカに入って2日目、1,044kmに及ぶ今大会最長のSSは砂丘と岩場の連続で熾烈を極め、レンジャーの到着は翌朝の8時過ぎとなりペナルティの対象に。ここで順位を落としてしまったレンジャーだが、その後はその鬱憤を晴らすような走りで好タイムを連発。実質最後となった1月15日のアタール〜ヌアクショット間のステージではトップタイムをマークし、猛烈な追い上げを見せる。翌16日、半数以上がリタイヤを期したなか、レンジャーはダカールのゴールを6位で駆け抜けた。
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